薄(すすき)が夜風に撫でられ音を奏でる。
澄んだ秋の夜空は闇色よりもさらに深い、暗黒。
佐和の国―二条通りに店を構える紙問屋『蒼井屋』の塀の瓦の上に、約4尺もの体躯の黒い獣が鋭い犬歯を口より覗かせ息を潜めていた。
その側に不適に口元を曲げる男がいた。
月明かりの無い暗闇で、はっきりと男だと分かる筋肉質の身体。
身の丈は3尺もあるだろう。

 「雅千(がせん)、行け」

低い言葉に、空気が震え、雅千と呼ばれた獣は塀の瓦を音も無く蹴り、蒼井屋の店主の自慢の庭を飛び越え母屋の屋根に飛び移った。
ぐるぐるる、と微かな唸り声は歓喜を伴っていた。
男は懐より一枚の符を取り出し、「炎招来」と微かに呟き符を雅千の前足の元に投げつけた。
符が瓦に触れた途端、ド!と、炎が弾け屋根の一部がはじけ飛ぶ。
その音により、屋敷の者が何事かと騒ぎ出しへ各部屋で明かりが燈される。

雅千は庭へ現れた屋敷の者目掛けて跳躍し、屋敷の者が雅千に気づくと同時に喉を噛み千切った。
迸る鮮血が雅千に降り注ぐ。
眼を細め、鋭い牙を持つ口が微かに開き、血を流し倒れた人間を放って次に現れた人間に襲う。

獣の咆哮と、人が地面に倒れる音。
女の悲鳴と男の叫び声。
子供の泣き声、屋敷の人間たちの阿鼻叫喚の姿に男は喉を鳴らす。
そして――半刻の後に蒼井屋で息遣いするものは、男と雅千のみとなった。

暗黒の夜空に瞬く星、雲により隠れていた月が顔を出した。
塀の上で成り行きを見ていた男が懐から一枚の符を取り出した。
屋敷の塀から二条通りの一角に符を投げ入れる。
「縛」
男の一声とともに、ぐぐもった声が上がる。
男は塀の上から飛び降り、声の主の下へと向かう。

 「佐上の者が何用か?」
低い声色の男が、符で生み出された黒い縄の様なもので身体を戒められた者に問う。
「っ!?」
驚きで声も上げられないその者に男はくっと喉を鳴らす。
「殺し屋の『殺し』を見た―それがどういう結果になるか…分かっていて留まっていたのか?娘」
縄に戒められた四肢を突きさすように男に見られ、娘はぎりりと歯を食いしばる。
薄汚れた着物に、解れた髪。
貧民街の娘だとしても、髪くらいはもう少しましに纏めてあるだろう。
まるで、対先ほどまでならず者に慰め者にされていたかのような有様だ。
そして、苦々しく呻くように言い放った。

「知っているわっ。闇の世界で一の殺し屋である、『千雅(せんが)の盛吉(もりよし)』に――」

その言葉に男は面白そうに、娘を見ながら眼を細める。
名を知る者など、一握りの世界――。
仲介人と依頼人、だ。

「殺して欲しいの、あの――」

震える声で娘は、男――盛吉を見据える。
男に対する恐怖よりも、己のうちに抱える黒い憎悪によって肉体が焼かれるように熱く、苦しい。

「―― 呪い(のろい)屋を ――」


 じゃり。

 雅千がいつの間にか塀を越え、男――盛吉の下へやってきた。
雅千を視界に捕らえ、口の奥に娘は悲鳴を留めた。
ぎょろりと、人の倍ある眼球が動き、憎しみで焦がれた肉体が冷や水を浴びたように急激に冷える。
『式鬼(しきおに)』――呪術師が呼ぶ『鬼』。
娘は、怯えながらも盛吉を見つめ、盛吉は気丈な娘の態度に口元を歪ませた。
 「呪い屋、か。…なぜ、ヤツを?いや、愚問だったな…。佐上の当主は『怪死』をしたそうだったな」
「…っ、ええ!ええ!!その通りよっ!!お父様の政策に異を唱える者が、呪い屋に『呪殺』を頼んだのよっ!!」
娘は吐き捨てるように叫んだ。
その様子を見ながら、ふっと盛吉が笑う。
腹の底から、笑いがこみ上げる。こらえることなく、口から笑い声を上げる。
娘は雅千の存在を忘れ、笑う盛吉を睨み上げ叫ぶ。
「なっ何がそんなに可笑しいのよ!!」
「くくくっ。可笑しい?、可笑しいに決まっているだろう?言っておくが、俺もまた――奴と同じ穴の狢だ。それでも良いというのなら――、その殺し――」

娘の戒めを解き放ち、娘はそのまま地面に倒れこんだ。
「きゃっ」
悲鳴を上げ倒れた娘は身を起こし、盛吉を見上げた。

「受けよう」

皮肉な笑いを浮かべた――千雅の盛吉を視界にとらえた。
そして、千雅の盛吉は『何も知らない』娘を心中で嘲笑った。

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