林を宵闇に担がれたまま、闇の中移動する。
「くっ…、一体全体何だっていうんだっ」
懐から数枚、符を取り出し投げつける。
ドン、ボン、と煙が上がる。
闇の中に響く無数の足音と、闇の中で数多くの黄金色の蛍のような光が揺らめく。
それが、蛍の光ではなく秋守を追いかけてくる牙をむき出しにした獣たちだと知っている。
(くそっ数が多い…っ。あの男、人間が呼び出せる式鬼の数を超えて呼び出しやがった!!!)
「って、宵闇!!山下りろ!!なに登ってんだ!!!」
塩鳥山の中腹にある範龍寺から、北へと登る宵闇に怒声を向けつつ、符を周囲に放ち煙幕を撒き散らす。
獣―式鬼は煙幕を抜け、秋守たちを的確に狙い走りくる。
(術師は追ってきているか?!)
徐々に距離を縮められ、ギリギリと歯を食いしばる。
この数、既に、何十体どころの話ではないだろう。
百、を超えて呼び出されている。
と、ざっと音を立て宵闇が左に進路を変えた。
「な!?」
慌てて闇の中周囲を見て取ると、進んでいた正面、そして右側より式鬼の眼光が見て取れた。
式鬼達の駆ける音は、大地を揺るがすほどの地鳴りとなり、百以上の式鬼が追手となっていることを知る。
(挟まれた!?)
林の中を走る宵闇は秋守を担ぎながら、刀を抜く。
同時に秋守は符を取り出し、式鬼に向けて放つ。
ぶわぁっと、横一線煙が式鬼達の目を被う。
宵闇は徐々に速さを落とし、
「……っ、おい!?」
慌てて、後方へと向けていた視線を正面へと反し、息を呑む。
頭上は星空、正面は木々に覆われた森、崖の下は――、暗黒。
真っ暗。
底が見えない。
(……、崖?ぷち…)
唸り声とともに一体の式鬼-獣が、その凶悪な牙の生えた口を開け秋守に襲い掛かった。
ふわっと身体から重力が消え、秋守は両手を夜空に上げ何故か地面の無い空中に浮かんでいた。
宵闇が秋守を襲った獣を切り伏せ、さらに次の獣も切り伏せた――その瞬間、重力によって崖下に真っ逆様に落ちる。
符が秋守の後を追うようにはらりはらりと舞い、ようやく秋守は符を取り出したことによって宵闇の攻守の動作に"振り落とされた"事に気づいた。
「嘘だろォォォ!!!!」
眼前の下は、暗闇。
真っ暗で、何も見えない。
落ち行く先が、森なのか、川なのか、固い地盤なのか。
落ちてからでなければ分からない。
秋守の叫びは、その闇に飲まれた。
急いで懐を探る。
だが、懐から出てくるのは手拭いと財布。先ほど出したもので、符は最後のようだった。
秋守は、自分より最後に落ちてくるであろう符を憎々しい思いで上を見上げた。
(いっそ、このまま何もせずに死ぬか…)
諦めにも似た侘びしい想いが胸中を占める。
ずんずんと落下していく体。
そして、
「……、落下し過ぎじゃないのか…!!」
思わず口元が引きつる。
と、上部より赤紫の光がわずかに輝き、
「!!?宵闇!!」
その姿を見て取り、叫ぶ。
体制を立て直し、落下しながら宵闇が伸ばす右手を握る。
宵闇を秋守の腕を取り、再び肩に担ぎ二人は落下する。
赤紫色に発光する宵闇に抱えられ、先ほどまで胸中に漂っていた感情が四散した。
「このまま、地上に降りたら逃げるぞってっ!!!?おいおいおいおい!!!」
思わず叫びを上げ、空より降って来る獣に「まじかよ!!!」と悪態を付く。
ひらりと目の前に舞う符を宵闇に左手で捕まりながら、右手を伸ばす。
(っ届け!!!)
指先に符が触れ、力任せに手を開き、握り締める。
ぐしゃりと握りつぶしたが、些細なことは気にしない。
たんっ!
と軽い音を立て、宵闇が崖下の底に着いた。
暗闇しかなく、上から見える夜空も米粒のようだ。
だが、式鬼の黄金の目の輝きだけは蛍のようにゆらリゆらりと存在を主張していた。
宵闇が抜き身の刀を構える。
それを合図に式鬼達が咆哮しながら大地を蹴り襲いくる。
宵闇の刀が次々と式鬼を切り伏せる、が、
「くそ!!!」
秋守は、自分を囲む黄金の眼差しを睨みつける。
いつの間にか、宵闇と秋守の距離が開いていた。
そして、この暗闇。
どの程度、距離が開いているのか、視覚で確認が出来ず秋守は下手に動くことが出来なかった。
手に握り締めた符を、襲い来る式鬼にぶつける事が出来なかった。
この一枚が最後の『力』。
宵闇が、合流するまで一人で持ちこたえなければならない。
だが、人ではない、妖の『鬼』を相手に持ちこたえられるはずも無い。
「くそ!!!」
牙をむき出し跳躍したであろう、獣の気配を感じ身をすくめる。
ざんっ!と鈍い音と、獣の咆哮、次々と獣が切り伏せられ、獣の口から上がる絶叫。
赤紫の光を纏う『式』が、ちらりと秋守を見据える。
「………」
その視線を受け止め、ぐっと息を呑む。
(俺も式鬼を呼んで、戦力を均衡させる…)
迷っている暇は無い。
符に力を籠める。
赤紫色に符が『灯る』。
秋守の周りに四つの環が現れる。
この世界の五つの力を現す環のうちの四つ。
一つ、金の魚。
一つ、青の蛇。
一つ、黒の獣。
一つ、赤の人。
この四つと、『白の神』で呪術師の『術』は構成されている。
『式鬼』は、『妖《あやかし》』に付随する『鬼』。
この世のモノでない、魔物。
リンっと何処からか、鈴の音が響く。
(呼ぶ、この俺が呼ぶ。聞こえるだろう。俺の元へ来い。)
符に灯った光が激しく燃え上がり、上空へと伸びる。
秋守に襲い来る獣を宵闇は切り伏せ、秋守の時間を稼ぐ。
代わる代わる牙をむく獣達の中で、一体だけまったく動かずにその様子を見ていた。
「来い、『果たす者』よ!」
そして、秋守は伸び、消え行く光に向かって叫んだ。
――― 何があっても、『式鬼』は呼ぶな。いいな。 ―――
正佳の言葉が脳裏を過ぎたが、上空に上った光が地上に舞い戻り環を描く。
『式鬼』が現れる瞬間、正佳の言葉はかき消えた。
頭、両腕、胴、両足のヒト形。横長な四角と、長い棒のようなもので先端が幅広く何かに覆われているような膨らみとそれを留めているであろう紐のような長細い2本の光の形が現れる。
赤紫の光に包まれた、ヒトの姿の『式鬼』。
うっすらと、秋守の呼び出した『式鬼』が瞼を上げる。
ぐらりと、『式鬼』の身体が揺れる。
獣を切り裂く音と、獣の獰猛なうなり声、咆哮―――そして、『女』の悲鳴。
ドサッと二重に響く音と、鈴の音、カランと落ちる何か。
「きゃぁっ!」
赤紫の光を纏いながら、地に降り立った『娘』は着地に失敗してよろけて尻から倒れた。
「う…ぃたぁ…」
尻を強く打った娘は、顔を歪ませて、そして目の前に居た秋守をその黒い眼で見た。
きょとんとして、娘は首を捻り、周囲を見渡し、秋守を見て微笑んだ。
「えっと、こんばんわ?」
など、危機感の無い言葉をその可愛らしい唇から紡いだ。
得体の知れない上着を着て、その下の下着のいくつもの折り目の付いたひらひらとした布が、腰に巻き付いてる。
その腰巻から恥ずかしげなく伸びる足。
(…………)
秋守は、とりあえず額に手を置いて、考える。
(……、これは、ヒト型の鬼だよな…?、か?角は無いよな…)
わしっと娘の頭を遠慮なく鷲づかみにし、
「え?きゃっ、い、痛っ」
娘の上げた驚きと、角を探る様に髪を引っ張る秋守に非難の声を上げる。
「ちょっ、い、痛いですっ」
「角は、無い」
「うぅ…」
ぱっと手を離し、これ異常ないほど顔を歪める秋守とせっせと髪を整える娘。
若い、娘だ。
どう考えても、これは…。
「おい、娘。お前は戦えるのか?」
「え?」
「戦えるのか、と聞いているんだ」
「?た、たたかう?」
じりっと倒れたまま後ずさる娘に秋守は舌打ちする。
獣を切り伏せる宵闇を身、娘の不思議な服の襟らしきものを掴み、
「出てきたからには、何とかしろ!」
無理やり立ち上がらせ、獣を切り伏せる宵闇とは反対側に投げ飛ばした。
式鬼として呼び出した娘を『式鬼』の中に投げ飛ばす。
悲鳴をあげ、地面に倒れる。うっすらと発光していた身体から光が消え、娘は、直ぐに身を起こす。牙を向けた獣に、怯え頭を抱える。
咆哮を上げ、牙を剥き出しにし娘に襲う獣を、宵闇が切り伏せる。
「うわっ!!」
どさっと音を立て秋守は地面に倒れ、獣の一匹が口を開け今にも秋守の喉を噛み千切らんとしていた。
獣の鼻と顎を手で掴み、顔に生臭く暖かいよだれがベトベトとかかる。
「くっ」
ガウゥゥウと唸る獣が秋守から離れ、さほど離れていない位置に着地する。
ふらつきながら起き上がり、側で刀を構える宵闇に苦々しく呟く。
「助かった…」
じりじりと、秋守と宵闇の側で怯える娘。
「くそっ。役立たずが!」
じわじわとなぶる様に追い詰められている。
この数の『式鬼』ならば、いっせいにかかれば秋守など直ぐに肉片に変わるだろう。
なぶられている。
そう、感じるからこそ怯える娘に腹が立った。
いや、いっそここで諦めてしまえばいいのだと――警告が響く。
そうすれば、楽に死ねる。
「わ…わたしっ」
秋守に怒鳴られ、ガクガクと震える娘。
か細い声にイラッとして、
「震えるな、黙れ!息を吸うな!役ただず!」
と、怒声を上げる。
ひっと息を呑む声と、怯えるように顔を横に振る。娘を無視し懐を漁るが、先ほどの落下時に手拭いやら財布やら既にどこかにいってしまっている。
懐は空だ。
それでも、符があるくらいのハッタリはしておきたい。
(『式鬼』の眼で、俺の様子を見ている…。くそっ!あの男、『式鬼』の数からして只者じゃないと思ったが―――、一体何者だ!?)
じりじりと、獣達が三人を囲うように集まってくる。
と、途端に娘が叫び出した。
「わ、私を食べても美味しくないです~~~~~~!わ、私は朱音と違ってお魚中心の食事が大好きで、こう、出るトコも出てないし、まっ平らってよく言われるし!!でもでも、これでも身体は柔らかい方なんですよ?!柔軟体操を毎日してるし、私的には女の子はぽっちゃりしている方がかわいいと思うんです!!そこのところどうなんでしょうか!!」
と、
「………、一つ聞いていいか?」
「は、はい?」
「誰に言ってんだ?お前…」
「えっと、狼さんたちに…」
指を揃えた手の平を式鬼に向ける。
「そうか、なら」
そこで、秋守は始めて娘に笑みを浮べた。凶悪な。
「俺のために食われて来い!」
がしっと襟首を掴みそのまま娘を式鬼の中に放り込んだ。
「ひぃきゃぁぁぁ!!」
悲鳴と、獣の咆哮。
宵闇は、刀を構えて娘に牙を向く式鬼に向かおうとした。が、秋守が声を荒上げる。
「逃げるぞ!!!」
式鬼の気が紛れているうちに、距離を稼ぎたい。
宵闇にそう促すと、
獣の絶叫が辺りに響いた。
***
男は、『式鬼』の眼を通じて崖下の暗闇で起こっている全てを観ていた。
男が既に呼び出した式鬼の数は既に三百近く、崖の下で森波の秋守を襲っているであろう『式鬼』の数は百五十匹。
半数はあの、『式』――宵闇によって殺された。
「……、なんだ、と?」
『式』を携えながら、『式鬼』を呼び出した秋守の呪力に驚嘆をあらわしたが『式鬼』と呼ばれたモノはただの娘。
弱弱しく、ただ怯えるだけの娘。
『千雅の盛吉』にしてみれば、ただ『式鬼』の餌が増えただけだろう。
気にも留めていないが、呼び出した式鬼を獣の群れに放り込んだ秋守には呆れたものだ。
自分が逃げるために、呼び出した『式鬼』を足止めに使う。
使い方としては間違ってはいないだろう、『式鬼』の使い方としては。
「…、『式鬼』…」
足元に広がる闇を、眼を見開いて――獣の目を通して観る。
舞うように、『式鬼』を斬る、
その娘を。
***
ざっと地面を統べるように軽い足取りで娘は動く。
手にしてる六尺ほどの棒―柄の先には鍔があり、その先には楕円形の刃が付いていた。
跳躍し牙をむく獣を柄の尻で喉を打ち、その反動で正面より牙をむく獣を刃で切り裂く。
「は?」
ぽかんと口を開け、間抜け多様に娘を見ていた秋守ははっとして辺りを見回した。
宵闇は、娘の加勢に入っている。
「え、ええええ!?」
どういうわけか、秋守は一人置いていかれているようで宵闇の死角を護るように娘が獣を切り裂き、娘を隙を宵闇が護る。
途中、秋守に牙を向く式鬼を宵闇が助けに入るがやはり宵闇の背を娘が護っていた。
ざんっと最後の一体を宵闇が切り伏せ、娘は崩れるように地に座り込んだ。
「………」
ぼうっとした視線で手にした武器を置き、周囲に屍となった式鬼に手を合わせた。
「迷わず成仏してくださいね」
ふぅっと息をつき、宵闇を見上げ、
「危ないところをありがとうございました」
と微笑みながらぺこりと頭を下げた。
ごっと、娘の後頭部に拳骨を落とす秋守。
「おい…、ふざけるな。戦えるなら、何でさっさと戦わない!!!!危うく死にかけただろう!!この俺が!!」
「ぃう…」
ずきずきと痛む後頭部を押さえながら、娘は顔を上げた。
睨む秋守に涙を溜めた目で訴える。
「…いきなり殴るなんて…酷いです…っ」
「酷くねえ、酷くねえ!これっぽっちも酷くねえ!」
瞳を潤ませて、恨みがましく秋守を見上げる『式鬼』に背筋がぞっとした。
(『式鬼』が自我を持っているなんて、)
ありえないと。
ならば、『これ』は、なんだ?
(気を抜いたら、体が裂けてぐわしっと喰われたりして…)
ぞわぞわと悪寒が走り、宵闇の手を引いて娘から離れる。
「あ、あの!?」
「付いてくるな」
「えっ、あの!?すみません、ここ、どこですか??あの、私、家に帰る途中で――」
『式鬼』の屍を除けながら秋守は進み、ふと足を止める。
「あのっ、すみませんっ。わたし、自宅は珊和町《さんわちょう》の下山《しもやま》ニ丁目の四八九番地で、むら、村山《むらやま》――」
よたよたと娘は屍をよけながら、きょろきょろと何かを探すように辺りを見回す。
「村山《むらやま》、天音《あまね》といいますっ。あの、ここは、珊和町のどの辺り…」
立ち止まる秋守が、ゆっくりと天音に振り返る。
引きつった顔をしながら、
「…、なんて、言った?」
「え?ええっと、私、村山天音です?」
首をかしげながら、疑問系で秋守に問うと、ぶんぶんと頭を振りながら秋守が叫んだ。
「ちがーーーーーーーーーーーう!その前だ!!」
「え?え…、珊和町下山二丁目四八九番地?」
「……自宅って、言ったか?」
娘―天音は、秋守が何故そんなに驚いているのか理解できずとりあえず頷く。
――― 何があっても、『式鬼』は呼ぶな。いいな。 ―――
正佳の言葉が脳裏を過ぎ、
「くそっ!正佳の野郎っ!こうなるってわかってやがたなぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫した。
「くっ…、一体全体何だっていうんだっ」
懐から数枚、符を取り出し投げつける。
ドン、ボン、と煙が上がる。
闇の中に響く無数の足音と、闇の中で数多くの黄金色の蛍のような光が揺らめく。
それが、蛍の光ではなく秋守を追いかけてくる牙をむき出しにした獣たちだと知っている。
(くそっ数が多い…っ。あの男、人間が呼び出せる式鬼の数を超えて呼び出しやがった!!!)
「って、宵闇!!山下りろ!!なに登ってんだ!!!」
塩鳥山の中腹にある範龍寺から、北へと登る宵闇に怒声を向けつつ、符を周囲に放ち煙幕を撒き散らす。
獣―式鬼は煙幕を抜け、秋守たちを的確に狙い走りくる。
(術師は追ってきているか?!)
徐々に距離を縮められ、ギリギリと歯を食いしばる。
この数、既に、何十体どころの話ではないだろう。
百、を超えて呼び出されている。
と、ざっと音を立て宵闇が左に進路を変えた。
「な!?」
慌てて闇の中周囲を見て取ると、進んでいた正面、そして右側より式鬼の眼光が見て取れた。
式鬼達の駆ける音は、大地を揺るがすほどの地鳴りとなり、百以上の式鬼が追手となっていることを知る。
(挟まれた!?)
林の中を走る宵闇は秋守を担ぎながら、刀を抜く。
同時に秋守は符を取り出し、式鬼に向けて放つ。
ぶわぁっと、横一線煙が式鬼達の目を被う。
宵闇は徐々に速さを落とし、
「……っ、おい!?」
慌てて、後方へと向けていた視線を正面へと反し、息を呑む。
頭上は星空、正面は木々に覆われた森、崖の下は――、暗黒。
真っ暗。
底が見えない。
(……、崖?ぷち…)
唸り声とともに一体の式鬼-獣が、その凶悪な牙の生えた口を開け秋守に襲い掛かった。
ふわっと身体から重力が消え、秋守は両手を夜空に上げ何故か地面の無い空中に浮かんでいた。
宵闇が秋守を襲った獣を切り伏せ、さらに次の獣も切り伏せた――その瞬間、重力によって崖下に真っ逆様に落ちる。
符が秋守の後を追うようにはらりはらりと舞い、ようやく秋守は符を取り出したことによって宵闇の攻守の動作に"振り落とされた"事に気づいた。
「嘘だろォォォ!!!!」
眼前の下は、暗闇。
真っ暗で、何も見えない。
落ち行く先が、森なのか、川なのか、固い地盤なのか。
落ちてからでなければ分からない。
秋守の叫びは、その闇に飲まれた。
急いで懐を探る。
だが、懐から出てくるのは手拭いと財布。先ほど出したもので、符は最後のようだった。
秋守は、自分より最後に落ちてくるであろう符を憎々しい思いで上を見上げた。
(いっそ、このまま何もせずに死ぬか…)
諦めにも似た侘びしい想いが胸中を占める。
ずんずんと落下していく体。
そして、
「……、落下し過ぎじゃないのか…!!」
思わず口元が引きつる。
と、上部より赤紫の光がわずかに輝き、
「!!?宵闇!!」
その姿を見て取り、叫ぶ。
体制を立て直し、落下しながら宵闇が伸ばす右手を握る。
宵闇を秋守の腕を取り、再び肩に担ぎ二人は落下する。
赤紫色に発光する宵闇に抱えられ、先ほどまで胸中に漂っていた感情が四散した。
「このまま、地上に降りたら逃げるぞってっ!!!?おいおいおいおい!!!」
思わず叫びを上げ、空より降って来る獣に「まじかよ!!!」と悪態を付く。
ひらりと目の前に舞う符を宵闇に左手で捕まりながら、右手を伸ばす。
(っ届け!!!)
指先に符が触れ、力任せに手を開き、握り締める。
ぐしゃりと握りつぶしたが、些細なことは気にしない。
たんっ!
と軽い音を立て、宵闇が崖下の底に着いた。
暗闇しかなく、上から見える夜空も米粒のようだ。
だが、式鬼の黄金の目の輝きだけは蛍のようにゆらリゆらりと存在を主張していた。
宵闇が抜き身の刀を構える。
それを合図に式鬼達が咆哮しながら大地を蹴り襲いくる。
宵闇の刀が次々と式鬼を切り伏せる、が、
「くそ!!!」
秋守は、自分を囲む黄金の眼差しを睨みつける。
いつの間にか、宵闇と秋守の距離が開いていた。
そして、この暗闇。
どの程度、距離が開いているのか、視覚で確認が出来ず秋守は下手に動くことが出来なかった。
手に握り締めた符を、襲い来る式鬼にぶつける事が出来なかった。
この一枚が最後の『力』。
宵闇が、合流するまで一人で持ちこたえなければならない。
だが、人ではない、妖の『鬼』を相手に持ちこたえられるはずも無い。
「くそ!!!」
牙をむき出し跳躍したであろう、獣の気配を感じ身をすくめる。
ざんっ!と鈍い音と、獣の咆哮、次々と獣が切り伏せられ、獣の口から上がる絶叫。
赤紫の光を纏う『式』が、ちらりと秋守を見据える。
「………」
その視線を受け止め、ぐっと息を呑む。
(俺も式鬼を呼んで、戦力を均衡させる…)
迷っている暇は無い。
符に力を籠める。
赤紫色に符が『灯る』。
秋守の周りに四つの環が現れる。
この世界の五つの力を現す環のうちの四つ。
一つ、金の魚。
一つ、青の蛇。
一つ、黒の獣。
一つ、赤の人。
この四つと、『白の神』で呪術師の『術』は構成されている。
『式鬼』は、『妖《あやかし》』に付随する『鬼』。
この世のモノでない、魔物。
リンっと何処からか、鈴の音が響く。
(呼ぶ、この俺が呼ぶ。聞こえるだろう。俺の元へ来い。)
符に灯った光が激しく燃え上がり、上空へと伸びる。
秋守に襲い来る獣を宵闇は切り伏せ、秋守の時間を稼ぐ。
代わる代わる牙をむく獣達の中で、一体だけまったく動かずにその様子を見ていた。
「来い、『果たす者』よ!」
そして、秋守は伸び、消え行く光に向かって叫んだ。
――― 何があっても、『式鬼』は呼ぶな。いいな。 ―――
正佳の言葉が脳裏を過ぎたが、上空に上った光が地上に舞い戻り環を描く。
『式鬼』が現れる瞬間、正佳の言葉はかき消えた。
頭、両腕、胴、両足のヒト形。横長な四角と、長い棒のようなもので先端が幅広く何かに覆われているような膨らみとそれを留めているであろう紐のような長細い2本の光の形が現れる。
赤紫の光に包まれた、ヒトの姿の『式鬼』。
うっすらと、秋守の呼び出した『式鬼』が瞼を上げる。
ぐらりと、『式鬼』の身体が揺れる。
獣を切り裂く音と、獣の獰猛なうなり声、咆哮―――そして、『女』の悲鳴。
ドサッと二重に響く音と、鈴の音、カランと落ちる何か。
「きゃぁっ!」
赤紫の光を纏いながら、地に降り立った『娘』は着地に失敗してよろけて尻から倒れた。
「う…ぃたぁ…」
尻を強く打った娘は、顔を歪ませて、そして目の前に居た秋守をその黒い眼で見た。
きょとんとして、娘は首を捻り、周囲を見渡し、秋守を見て微笑んだ。
「えっと、こんばんわ?」
など、危機感の無い言葉をその可愛らしい唇から紡いだ。
得体の知れない上着を着て、その下の下着のいくつもの折り目の付いたひらひらとした布が、腰に巻き付いてる。
その腰巻から恥ずかしげなく伸びる足。
(…………)
秋守は、とりあえず額に手を置いて、考える。
(……、これは、ヒト型の鬼だよな…?、か?角は無いよな…)
わしっと娘の頭を遠慮なく鷲づかみにし、
「え?きゃっ、い、痛っ」
娘の上げた驚きと、角を探る様に髪を引っ張る秋守に非難の声を上げる。
「ちょっ、い、痛いですっ」
「角は、無い」
「うぅ…」
ぱっと手を離し、これ異常ないほど顔を歪める秋守とせっせと髪を整える娘。
若い、娘だ。
どう考えても、これは…。
「おい、娘。お前は戦えるのか?」
「え?」
「戦えるのか、と聞いているんだ」
「?た、たたかう?」
じりっと倒れたまま後ずさる娘に秋守は舌打ちする。
獣を切り伏せる宵闇を身、娘の不思議な服の襟らしきものを掴み、
「出てきたからには、何とかしろ!」
無理やり立ち上がらせ、獣を切り伏せる宵闇とは反対側に投げ飛ばした。
式鬼として呼び出した娘を『式鬼』の中に投げ飛ばす。
悲鳴をあげ、地面に倒れる。うっすらと発光していた身体から光が消え、娘は、直ぐに身を起こす。牙を向けた獣に、怯え頭を抱える。
咆哮を上げ、牙を剥き出しにし娘に襲う獣を、宵闇が切り伏せる。
「うわっ!!」
どさっと音を立て秋守は地面に倒れ、獣の一匹が口を開け今にも秋守の喉を噛み千切らんとしていた。
獣の鼻と顎を手で掴み、顔に生臭く暖かいよだれがベトベトとかかる。
「くっ」
ガウゥゥウと唸る獣が秋守から離れ、さほど離れていない位置に着地する。
ふらつきながら起き上がり、側で刀を構える宵闇に苦々しく呟く。
「助かった…」
じりじりと、秋守と宵闇の側で怯える娘。
「くそっ。役立たずが!」
じわじわとなぶる様に追い詰められている。
この数の『式鬼』ならば、いっせいにかかれば秋守など直ぐに肉片に変わるだろう。
なぶられている。
そう、感じるからこそ怯える娘に腹が立った。
いや、いっそここで諦めてしまえばいいのだと――警告が響く。
そうすれば、楽に死ねる。
「わ…わたしっ」
秋守に怒鳴られ、ガクガクと震える娘。
か細い声にイラッとして、
「震えるな、黙れ!息を吸うな!役ただず!」
と、怒声を上げる。
ひっと息を呑む声と、怯えるように顔を横に振る。娘を無視し懐を漁るが、先ほどの落下時に手拭いやら財布やら既にどこかにいってしまっている。
懐は空だ。
それでも、符があるくらいのハッタリはしておきたい。
(『式鬼』の眼で、俺の様子を見ている…。くそっ!あの男、『式鬼』の数からして只者じゃないと思ったが―――、一体何者だ!?)
じりじりと、獣達が三人を囲うように集まってくる。
と、途端に娘が叫び出した。
「わ、私を食べても美味しくないです~~~~~~!わ、私は朱音と違ってお魚中心の食事が大好きで、こう、出るトコも出てないし、まっ平らってよく言われるし!!でもでも、これでも身体は柔らかい方なんですよ?!柔軟体操を毎日してるし、私的には女の子はぽっちゃりしている方がかわいいと思うんです!!そこのところどうなんでしょうか!!」
と、
「………、一つ聞いていいか?」
「は、はい?」
「誰に言ってんだ?お前…」
「えっと、狼さんたちに…」
指を揃えた手の平を式鬼に向ける。
「そうか、なら」
そこで、秋守は始めて娘に笑みを浮べた。凶悪な。
「俺のために食われて来い!」
がしっと襟首を掴みそのまま娘を式鬼の中に放り込んだ。
「ひぃきゃぁぁぁ!!」
悲鳴と、獣の咆哮。
宵闇は、刀を構えて娘に牙を向く式鬼に向かおうとした。が、秋守が声を荒上げる。
「逃げるぞ!!!」
式鬼の気が紛れているうちに、距離を稼ぎたい。
宵闇にそう促すと、
獣の絶叫が辺りに響いた。
***
男は、『式鬼』の眼を通じて崖下の暗闇で起こっている全てを観ていた。
男が既に呼び出した式鬼の数は既に三百近く、崖の下で森波の秋守を襲っているであろう『式鬼』の数は百五十匹。
半数はあの、『式』――宵闇によって殺された。
「……、なんだ、と?」
『式』を携えながら、『式鬼』を呼び出した秋守の呪力に驚嘆をあらわしたが『式鬼』と呼ばれたモノはただの娘。
弱弱しく、ただ怯えるだけの娘。
『千雅の盛吉』にしてみれば、ただ『式鬼』の餌が増えただけだろう。
気にも留めていないが、呼び出した式鬼を獣の群れに放り込んだ秋守には呆れたものだ。
自分が逃げるために、呼び出した『式鬼』を足止めに使う。
使い方としては間違ってはいないだろう、『式鬼』の使い方としては。
「…、『式鬼』…」
足元に広がる闇を、眼を見開いて――獣の目を通して観る。
舞うように、『式鬼』を斬る、
その娘を。
***
ざっと地面を統べるように軽い足取りで娘は動く。
手にしてる六尺ほどの棒―柄の先には鍔があり、その先には楕円形の刃が付いていた。
跳躍し牙をむく獣を柄の尻で喉を打ち、その反動で正面より牙をむく獣を刃で切り裂く。
「は?」
ぽかんと口を開け、間抜け多様に娘を見ていた秋守ははっとして辺りを見回した。
宵闇は、娘の加勢に入っている。
「え、ええええ!?」
どういうわけか、秋守は一人置いていかれているようで宵闇の死角を護るように娘が獣を切り裂き、娘を隙を宵闇が護る。
途中、秋守に牙を向く式鬼を宵闇が助けに入るがやはり宵闇の背を娘が護っていた。
ざんっと最後の一体を宵闇が切り伏せ、娘は崩れるように地に座り込んだ。
「………」
ぼうっとした視線で手にした武器を置き、周囲に屍となった式鬼に手を合わせた。
「迷わず成仏してくださいね」
ふぅっと息をつき、宵闇を見上げ、
「危ないところをありがとうございました」
と微笑みながらぺこりと頭を下げた。
ごっと、娘の後頭部に拳骨を落とす秋守。
「おい…、ふざけるな。戦えるなら、何でさっさと戦わない!!!!危うく死にかけただろう!!この俺が!!」
「ぃう…」
ずきずきと痛む後頭部を押さえながら、娘は顔を上げた。
睨む秋守に涙を溜めた目で訴える。
「…いきなり殴るなんて…酷いです…っ」
「酷くねえ、酷くねえ!これっぽっちも酷くねえ!」
瞳を潤ませて、恨みがましく秋守を見上げる『式鬼』に背筋がぞっとした。
(『式鬼』が自我を持っているなんて、)
ありえないと。
ならば、『これ』は、なんだ?
(気を抜いたら、体が裂けてぐわしっと喰われたりして…)
ぞわぞわと悪寒が走り、宵闇の手を引いて娘から離れる。
「あ、あの!?」
「付いてくるな」
「えっ、あの!?すみません、ここ、どこですか??あの、私、家に帰る途中で――」
『式鬼』の屍を除けながら秋守は進み、ふと足を止める。
「あのっ、すみませんっ。わたし、自宅は珊和町《さんわちょう》の下山《しもやま》ニ丁目の四八九番地で、むら、村山《むらやま》――」
よたよたと娘は屍をよけながら、きょろきょろと何かを探すように辺りを見回す。
「村山《むらやま》、天音《あまね》といいますっ。あの、ここは、珊和町のどの辺り…」
立ち止まる秋守が、ゆっくりと天音に振り返る。
引きつった顔をしながら、
「…、なんて、言った?」
「え?ええっと、私、村山天音です?」
首をかしげながら、疑問系で秋守に問うと、ぶんぶんと頭を振りながら秋守が叫んだ。
「ちがーーーーーーーーーーーう!その前だ!!」
「え?え…、珊和町下山二丁目四八九番地?」
「……自宅って、言ったか?」
娘―天音は、秋守が何故そんなに驚いているのか理解できずとりあえず頷く。
――― 何があっても、『式鬼』は呼ぶな。いいな。 ―――
正佳の言葉が脳裏を過ぎ、
「くそっ!正佳の野郎っ!こうなるってわかってやがたなぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫した。
スポンサードリンク