橋本道場に着き、今日の稽古を終わらせた天音は正座をさせられていた。

「試合を前に、何度も言うけどねぇ…」
額を押さえて多苗はすまなさそうにしている天音に告げた。
「心のバランスが取れてないわ。何があったかわからないけど、震えている刃なんて叩き落とされるだけよ」
「…はい」
何度もすみませんと謝る天音に多苗は唸り声を上げた。
「何があったのか、言える?」
「……聞いてくれますか?」
おずおずと天音が言葉を出す。むしろ、誰かに今の状況――感情を吐露したかった。

「まだ、はっきりと言われたわけではないんです」

「うんうん」
「今日、朱音の代わりに告白の返事に行ったんです」
「うんうん。あんたら双子も入れ替わりなんてやって楽しそうねぇ」
「一時期は楽しかった時もありましたよ?周りが困惑したように慌てるのが楽しくて、子供のいたずらですね」
「ああ、わかるわかる」
などと、言葉を交わしながらふと天音の頬が赤くなっていることに多苗は気がついた。
「んん?」
「その、こ、今回の告白は――お返事じゃなくて…、わ、私宛にお呼びだったようで…」
もごもごと声を出す天音。
ほほぅと、多苗は恥ずかしがっている天音を見る。どことなくぽややーんとしている天音がこんなに恥ずかしがっているのは、もしかしたら初めてかもしれない。

(男だったら、確実に落ちるわね…)

なんて、もじもじしている天音を見ながらくすりと笑う。それで?と先を促すと、
「それで、私朱音の格好で言ったので…逃げてきました…っ!」
両手で顔を抑える天音。
多苗は笑顔を顔に張り付けて、
「え?なに?天音だって言わなかったの?んで、逃げた?」
「だ、だって…、朱音の真似してたので…、天音だった言う勇気がなくて…とても悪い事をしてしまったと…」
上目づかいで、多苗を見る。その、瞳はどこか期待に満ちているように見え多苗は頬に一筋の汗が流れた。

「もしかしてアドバイス期待してる、とか?」
「もちろん!」

ぱぁっと顔を明るくして頷く天音。多苗は笑顔を貼りつかせたまま、
「あっはははははは!!んなもんできるわけないでしょーーー!!」
全力で叫んだ。
「良い事!天音。こういう場合はあんたがどうしたいかよ!それ以前に『ようだった』って、あんたの勘違いってこともあるんでしょ?」
「そうです…逃げてきたので…」
聞いてないですと呟いてうつむく天音。
『気持ち』と言う言葉と朱音の『ごめん』と言う言葉。
自意識過剰と受け取れるかもしれないけれど、天音はかなり今回の出来事は青天霹靂のごとく…のような出来事だった。かなり、…動揺している。
そんなの彼女に、人差し指で天音を差し、多苗が声を上げる。
「まず、相手が天音を好きだとして―――付き合うの?付き合わないの?どっち?」
天音の表情を覗くように身を傾かせる多苗に、天音はふっと顔を上げ、

「そう、ですね…。実を言うと、そこが一番どうしたらいいのかわからないんです。私、どうしましょう…」

「いや『どうしましょう』…って言われても…。あー。まあ、こういう時は素振り!無心に素振りよ!!よし!家宝を貸してあげるから、ね?!」
両肩を叩いて多苗は道場から逃げるように出て行った。
天音は多苗の背を見て、小さく溜め息を突いた。

***

 ずっしりと重い刃のついた薙刀。

「………っ」

渡された時の、気持ち。

ホラー映画を見たときのドキドキよりももっと心臓が速く動き―――、さっきまで動揺していた心が落ち着き、別の意味で落ち着かない。これが、もしや『胸の高鳴り』というものなのか…と手にした重みが突然、愛しくなる。

「おお~、感動してるわねっ。やっぱ、真剣はいいよねー。輝きとか。で、おーい。天音、こっち戻ってきなさーい」

苦笑いを浮かべる多苗に、天音ははっとして薙刀から顔を上げた。
「うちの家宝のもう一つ。大薙刀と対の、薙刀…『桜緋《おうひ》』」
「…おう、ひ…」
刀身を隠している丈夫な鞘には桜の精巧な彫り物がしてあり、鍔の部分も同様な装飾が施されていた。
しっとりとなじむ、感触。

「さあ、天音!!とりあえず無心に素振りなさい!真剣を持った高揚感は武術を習う者ならかつては誰もがもっていたの。それで迷いを切り裂きなさい!」

ぐっと拳を上げ自信満々に声を上げた多苗を呆れたように見つめる。多苗の言葉に、『現実』に引き戻された感じになった。大薙刀に陶酔していた気持ちがなくなり、天音はため息をつく。
「………、先生…アドバイス、したくないだけじゃ……」
「のー!のーー!NOーーー!そんなことはないわ!!かわいい弟子に悟りを開かせたいと思うのよ!私はっ!」
胸をはる多苗は、じゃあ母屋にいるわね~と陽気な声で道場を出て行った。多苗の背を気持ちを吐きだした時と同じように見つめ、その時とは絶対的に違う手の感触に心が躍った。

「……私って、ちょっと危険な人かもしれません、ね…」

刀身に移る、己。
ここで試し斬りがしたいなんて言ったら、完全に犯罪者だ。それ以前に、この刀身の長さでは銃刀法違反だろう。

ちゃか、と鍔鳴りがし―――天音は薙刀を構えた。


 振り下げ、振り上げ、薙ぐ。突く。

空を切り裂く音が、心地よく鼓膜を震わせる。

天音は、薙武術や武芸として薙刀が好きだ。
彼女は時たま過去に想いを馳せる。
(あの、男の人が助けてくれなければ追いかけられたそのあとはどうなっていたんだろう。―――もしも、あの男《ヒト》に会わなかったら…私は薙刀と出会う事はなかった――?)

 薙刀の刃こぼれしていない、白銀の刃が軌跡を描きながら舞い、
 肩までの少し茶色かかった髪がふんわりと浮き上がる。

(告白もできないで終わった、私の恋…)

脳裏に透の姿が浮かぶ。
その姿を断ち切るように、ぶんっと空を切り裂いた。次に現れた、瀬川という少年。
たわいもない話を少しだけした事がある。多分、彼には『好き』も『嫌い』もない。無理やり――はっきりとした感情を付けるのなら友人として『好き』。彼と朱音が良く喋っていたのは知っていたし、彼はよく友達と笑っていたと思う。あまり怒ることがないイメージを彼に抱いている。
ふと、『良く笑っていた』と思えるほど、彼を見ていたのかと小さく笑う。

(気持ち…と言う言葉で、告白を連想させる…よね?…それに、私はまだ告白されてもいないのに、私…ああ、こらもう!落ち付け!落ち付け!私!!)

瀬川少年の姿を切り裂くように軽やかに薙刀を振るった。


***


 「萌さんの作った料理は、私のお母さんの料理と同じくらいおいしいです!」
と、ニコニコしながら稽古後の天音は橋本家の食卓にいつものようにお邪魔していた。ありがとうね
、と微笑む萌に、透が「また魚かよ!?」とげんなりとして多苗に脳天を叩かれていた。
食事後、「透、送ってやってよね」の多苗のその一言で食事後、透は天音を送ることになった。

「バス停までで良いよ?」
「バス来るまでいる」
そんな、短いやり取りを交わし沈黙のまま二人は街灯に照らされたアスファルトの道を歩く。

 「っ、あのさっ」

上ずった声を透が上げ、天音は透を見る。
「……、付き合うのか?あいつと…」
「え……?……あ、うんっとね…付き合うというよりも…、まだ私…告白されていないのよ…」
くすりと笑う。
そうなのか?とぽかんとした顔でつぶやく透に、天音は頷きながら――、
「私は彼のこと今は『好き』でも『嫌い』でもないの。もう少し、彼を知って私から彼を好きになりたい―――『告白されたら』、ね」
晴れやかに微笑む。

心が洗濯機になったように、ぐるぐると回り汚れがじわじわと落ちる。
多苗が言っていた素振りは結構いいかもしれない。あれは、真剣の刃を手にした魔法だったかもしれないけれど。

「瀬川君に、きちんと今日のことを謝って私から用件を聞くわ。明日」

そう、それが一番いい事だと思う。
そこから、今日をやり直せばいいと思う。

「それに、やっぱり勘違いはよくないのよね。告白じゃないかもしれないんだもの」
ふふふっと笑う天音に、透はふっと顔をそむけた。
「そう、か」
短く、声を出し、そして、

「じゃあ、俺が好きだって言ったら、付き合ってくれる?」

そう天音をまっすぐ見つめて言った。
対して天音はその言葉にぽかんとして透を見つめた。

 「え?」

それだけしか、彼に言葉を返すことができなかった。
だって、
「え?」
だって、…だって、

「透君、彼女いるでしょう?」

そうでしょう?

「違う。付き合ってないんだ、本当は―――」

意味がわからない。
なら―――

(だって、彼女って―――)

天音は『桜妃』に触れ素振りをしたことで切り替えた気持ちを一瞬にして塗り替えられ、混乱した。
そう、

「本当は、ずっと―――」

だって。
ずっと、
ずっと、

「天音のことが好きだ…」

(透君が、好きだった―――)

 驚いて、驚きすぎて、顔をゆがめる。涙がでる。
うれしいとかではない。
(どうして、今?)
どうしたらいいのだろう?どうすればいいのだろう―――。
動いた足、振り上げた鞄、透が天音の腕を掴もうとして空を掴む。


 天音は、脱兎のごとく逃げだした。


背中から、透の声と追いかける足音が聞こえる。
だけど、もっと激しく鳴るのは――心音。

(っわ、私っ)

混乱して、道路を無茶苦茶に走る。街灯に照らされた道路。

そして、ふと―――街灯が消えた。

けれど、天音はそのことに対して気にしている余裕もなく…真っ暗の闇の中、天音は後方より追いかけてくる透の声を聞く。
けれど、逃げたくて―――闇の中がむしゃらに走る。

 その闇が空けるような、赤紫の光が目の前ではじけた。


「!?」

叫び声が音にならなく、身体を強力な力で引っ張られる。
思わず来た道へ逃げかえろうと身を捻る―――と、


≪呼ぶ。『この』、俺が呼ぶ――――≫

心臓を――魂を鷲掴みにされたように、息が止まる。
苦しい、苦しい―――。

息ができない。
首を絞めつけられているわけでもないのに、苦しい。
いや、まだ、首が締め付けられている方がいいのではないかと―そう思わせるような、体中に感じる圧迫感。

身体の中がめちゃくちゃに熱く、身体全体が痛い。まるで身体中を粘度をこねるように『作りかえられている』ような―――不可解な傷みが脳を貫く。

痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。

肉が痛い、骨が痛い、喉が痛い、鼻の奥が痛い、眼球が痛い、

痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。


傷みが、何もかもを赤く、赤紫に染める。

≪―――― 来い ――――≫

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来い、と呼ばれている。
ああ、呼ばれている。
その声が、『何もかも』を作り替えるように天音を支配する。
肉を潰してこねまわすように、別の何かに形を変えようと、別のどこかに引きずり込もうとする。

≪呼ぶ、この俺が呼ぶ。聞こえるだろう。俺の元へ来い≫

響く、声に意識〈こころ〉を埋め尽くされる、
アスファルトの地面が消失し、周りは、『赤』で埋め尽くされている。
まるで、『血液』の中に放り込まれたように感じた。
いや、

(あぐぅ…)

苦痛を感じ、身を捻る。
あったはずの地面が無い。

≪―――― 来い、『果たす者』よ! ――――≫

赤い、赤い何かに呑まれるように天音は落ちていく。


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