* * *

 九月十七日、昼。

 「う~暑い…、この残暑…何とかならんもんか…」
苦々しく、青年は声を吐き出した。
手にした手ぬぐいはびっしゃりと汗を吸いこんでいた。
着崩した服、脱げた草履、無精ひげを生やし、中途半端に伸びた髪を無理やり括っている。
そのせいで、あちらこちらに髪の毛が飛び手でいる。
まるで、浮浪者様な恰好で、赤い暖簾の掛かっている茶店の前にある長椅子に暑さに伸びていた。
 「なるわけないだろう!ほらっ!!秋守、あんたがいると客が来ないんだよ!!!とっとと消えろ!」
『小田部』と文字の入った赤い前掛けをした娘が盆を手に、店の前に出された椅子でくつろいでいた青年の頭を叩いた。
「って!…お鈴…てめえ……っ」
叩かれた後頭部を両手で押さえて、涙目で青年―秋守は自分をまるで親の敵のように睨む娘―お鈴の殺気に息をのむ。
「聞こえなかったの?とっとと、店の前から消えろ!このクズ!!」
「クズ!?クズってなんだ!!おい!!」
「クズにクズって言って何が悪い!!このカス!!」
両腕を組み仁王立ちするお鈴の迫力に少々圧され気味になったが、秋守は舌打ちしながら椅子から立ち上がる。
「……閑古鳥よ、来い!」
などと言って、両手を上げて空を見上げる。

ベシベシベシ!!!
と、容赦なく秋守の頭・背中・腰と盆で連打するお鈴。

 「あ~き~も~り~~~~!!!」
般若のごとき形相で、お盆を振りまわず。
「たたたっ!!ただ、言っただけだろう!!」
「あんたが言うと洒落になってないんだよ!!この呪《のろ》い屋が!!うちの店が呪われちまう!!!」
「呪《まじな》い屋だっ!!!」
「同じじゃないか!!!うちの店を潰そうなんて…そんなこと…、お天とうさまが許してもこのあたしが許しゃしないよ!!!」
店の入り口にかけられていた『小田部』と入った暖簾の竿を手にとって、

「人敵成敗!!!!」

ぶんっと振り回す。
「おいおい!!路上でバカみたいなことやってんじゃ――」
道行く人は、何事かと足を止めながらもこの通りの人間ならば何事が起きてるかわかっていた。
そして、
「おー、お鈴がんばれ~!森波の呪い屋をぎったんぎったんに――」
「ジジィ黙れ!!!」
暖簾の竿を持ったお鈴を囃したてあおりたてる。
「お鈴ちゃんがんば!邪術師をぶったたけー!」
「クソガキィ!!!」
お鈴の竿の攻撃をよけながらも、おもにお鈴への声援にいちいち秋守は声を上げて反論する。
拳を作って、お鈴に声援を送った子供に拳骨をお見舞いしようとした瞬間、

 「秋守、いい加減にしないか」

淡々とした口調で、子供の前に青年が現れた。
凛とした出で立ち、すっきりと纏められた艶やかな短髪。
着ている着物も、上等なものだろう――秋守は青年を見た瞬間、心底嫌そうな顔をした。
「せ い ば い !」
とぎれとぎれの言葉でお鈴が踏み込み、
「お鈴も、私に免じて今日は暖簾を元の場所に置いてくれないか」
ぱしっと振り下げられた暖簾を左手でつかんだ。
お鈴は、ぐっと息を詰め、
「正佳さんの申出なら仕方ない…」
暖簾を再び店の入り口に戻した。
「すまない。秋守の成敗は明日以降に繰り越してくれ」
「ふぅ、わかったわかったよ。はぁ、呪術師の若様に頼まれちゃぁ断れないだろう」
「いや、俺も呪術師だぞ!?」
「はっ、邪術師の間違いじゃないのかい。森波の秋守?」
入口付近に落ちていたお盆を手に取り、お鈴は忌々しそうに秋守をにらみながら店に入った。

 「さて、秋守」
「さて、帰るか…あーあちぃ」
青年―正佳が秋守に声をかけたと同時に秋守が懐から寄れた手ぬぐいを出し顔を拭いた。
「秋守、話が――」
「あー、暑い暑い暑いぃ」
正佳を完全に無視し、とぼとぼと歩きだした。
「………秋守、これは忠告だ。決して、『式鬼《しきおに》』を呼ぶな」
秋守は、足を止め振り返る。
正佳は秋守を見据え、

「何があっても、『式鬼』は呼ぶな。いいな」

言い聞かせるように言う。
真剣な顔をした正佳を、一笑して秋守は無造作に手ぬぐいで顔を拭う。
「はっ。お前の言うことを聞く義理は無いな。じゃあな、若様~」
くるりと背を向け、手をひらひらと振る。

「…、どうなっても、私しらないぞ…」
諦めにも似た、だが、これから確実に起こるであろう事件に小さく正佳は心を躍らせた。


***



九月十七日、昼八ツ半時にほど近時刻。

 佐和の国を北と南に分ける運河『茂川《もがわ》』。
そんな秋空の陽の日が沈み始めたこの時間。
茂川の橋の下、船小屋の中で、ひそかな話し声が響く。

 台の上にじゃらりと音を立てて麻袋が置かれた。
秋守はちらりと袋を一瞥して、さらに、金の入った袋を出した若い男を見た。
小太りの、青地の着物を着たそれなりに身なりは良い。
薄汚れた着物を着た自分よりは立派な出で立ちだ。
だが、胡散臭そうに秋守は男を見る。

「で?悪いが俺は呪《まじな》い屋なんだが?呪殺の類はやってねえ」
くっと喉を鳴らして秋守が言うと、小太りの男は両手を合わせて懇願した。
「分かってます!分かってます、けれど、もう!森波の貴方様に頼むしかないのです!!御願いです!!川崎屋の当代の体調を崩してくれるだけでいいのです!」
勢いあまって男は地べたに土下座する。
おいおいっと額を押さえつつ、秋守は金の入った袋を手にする。
中身は、
「はした金じゃねぇか。……、山吹を二、三十枚入れてこい」
「っ、そ、そんな大金…」
震える男に、秋守は首を振る。
「おいおい、『川崎屋』の当代がどんだけ狡賢く、悪どい商売しているか、この佐和の国の都に住む住人なら分かっているだろう?そして、奴の後ろのお偉いさんもな。まるっきり、割りにあわねぇ…」
げっそりとして、手にした袋を男の目の前に落とし、
「悪いが他あたってくれ」
「まっ待ってください!!!」
がしっと背を向けた秋守の足に両手で縋りつく小太りの男。
思わずたたらを踏む。
「って、おい!!!」
あまりのことに、秋守は蹴り放そうとするが、
「川崎屋の当代だけはっ!!当代だけは許せないんですっ!!!」
男の顔は既に、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

(うわぁ…、面倒なのにあたっちまった…)

思わず、頭を抱えたくなった。

 「あー、つまり?あんたんとこの、恋人が当代に寝取られたわけね。サックリ言うと」
「なっ」
愕然とする小太りの男は小屋の入り口の前で丸まるように塞いでいた。
「小難しいことをすっ飛ばすとそういうことだろう?しかし、…相手の女は、あれか?お前よりも、あっちの方がよかったんじゃないのか?」
秋守は小屋の中に会った茣蓙を敷いてその上で胡坐をかいて座っていた。
にやにやしながら、小太りの男に問いかけると、男は顔を赤くして、

「ばっ馬鹿なことを言わないで下さい!!!あの人はっ、あの人は、私を何処までも愛してくださっていたんですっ」
「………」
「初めて私達が結ばれた日の夜、あの人は苦痛でありながら、私を―――」
「悪いが、惚気は受け付けてない。帰れ!今すぐ帰れ!!」
「えええ?!まだ、まだです。ここからが!いいんです!!」
「よくねぇ!大体、お前、川崎屋の当代の体調を崩すことが望みって…はっきり言って意味なくないか?ぶっちゃけ、恨みがあるんなら殺しちまった方がいいだろうに…」
わしわしと頭をかきむしる秋守に、小太りの男は首を振るう。
「確かに、殺したいくらい…、憎いです…。ですが、殺しても、許せないんです。ならば、じわじわと来た方がいいと思いませんか!?特に腹を下したりしたりしら、どうですか!?一日中厠から出て来れない。むしろ、ずっと出れない状態なんて…」

男はふと顔を背け、秋守はそんな男の歪んだ口元を見て、
(どこの坊ちゃんかはしらねぇけど…。黒いな、腹ン中が…。面白おかしく噂を広めるつもりか…)
肩をすくめ、
「女の方は、どんな様子なんだ?」
「………、彼女は…、行方不明です」
再びぼろぼろと涙を零す男に、溜息を付きながら、

「あ~…、分かった、分かった。とりあえず、川崎屋は名のある呪術師も雇い入れているはずだ。俺の呪術じゃあ、何処までアンタの希望にそえるか分かったもんじゃない、それでも良いなら、受けるが?」
「いいです!!いいです!!!いいですとも!!彼女の恨みを晴らせるなら!!!私の身ぐるみを剥いででも!!!お願い致しますっ!!!」
地面に額をつけて、小太りの男は叫ぶ。
「言っとくが、腹下しの呪《まじな》いが成功する確率は低いぞ。ああ、そうだ。お前の足袋と草履くれ」
「え?」
男は自分の足袋と草履を見た。
そして、秋守を見た。
素足に、ぼろぼろの草履だ。

「え、ええ!もちろんです!こんなものでよければ、差し上げます!!!」

そう言って、足袋と草履を差し出した。



***



 九月十七日、暮れ六つ時。

 呪術師にとって、己の力の使いどころを『理解』しておかなければならない。
秋守は、佐和の国と桧右《かいう》の国の境にある塩鳥山に来ていた。
呪術師は、己の力を最大限に発揮することのできる『刻《とき》』がある。それを術師たちは、『呪刻《じゅこく》』と呼ぶ。

秋守の呪刻は、『暮れ六つ』時。
日没後の半刻、呪力の威力が増す。

「さて、と」
目的地である、『範龍寺』にたどり着き、秋守はざっと境内を見回す。
「ふむ…。時刻もまあ、ぎりぎりだな…。しかし。川崎屋の当代か…。どうせなら、水虫でもくっつけとくか」
くっと秋守は喉を鳴らし、一本杉の前に立つ。
杉の木の樹皮を手で軽くたたき、懐から一枚の符を出す。
符を木に張り付け、両手を合わせる。
しばらくの間、黙祷を捧げ張り付けられた符を、樹皮に押し付ける。
すると、符が樹皮-木の中に入り込み―――ぐにゃりと歪む。
「こんなもんか」
と、木から離れた瞬間、すばーーーーんっと杉に雷が落ち、真っ二つに裂ける。
「は?」
間の抜けた声と、

獣の方向。

「っな!?」
慌てて振り返ると、日の落ちた境内でも見て取れた、黒い巨大な獣が白い牙と開け放たれた赤い口。

―――喰われる!?

瞬時に思い描いたものは、頭からもっしゃりと食らいつかれた己。
情けない光景が浮かび、どこからか、お鈴の嘲笑う声が響いた。
「くっ!!」
直線的に飛びかかって来る獣の前に、背を低くして飛び込んだ。
獣の下を通りゴロゴロと転がりながら、地面に爪を立てて回転する身体を止める。
回転で、ふらつく視界に再び獣の牙と、口。


「『宵闇《よいやみ》』!!!」
咄嗟に懐から薄紫色の光を放つ符を取り出し、遅い来る獣の前に突き出した。

シャッと切り裂く音が響き、同時に獣の咆哮が脳を揺さぶり温かな血が降りそそぐ。
首を斬られたのだろう、ばたりと倒れた『それ』を秋守は血に塗れた姿で放心したように見つめた。

そして、目の前に立つ、刀を持つ赤紫に輝く剣士を見、
「ほぉ…。ただの、『はぐれ』ではなかったということか…」
高らかに笑う、野太い男の声があたりに響く。
秋守はその声を聞いた瞬間、身構え、それに呼応するよう剣士が刀を構える。

「『式鬼』でなく、『式』を呼ぶ。ただの、できそこないの呪術師が扱えるものではない。『霊符』とは己が呪力で生み出された符。そして、その呪力によって生み出された『式』は己。なるほどなるほど…、すぐに終わる仕事だと思ったがこれはまた―――」
ゆっくりと秋守の前に現れた男は、くっと喉を鳴らす。

「殺しがいのある男に当たったものだ」

秋守の倍もある男は、懐から符を取り出し闇空に放り投げた。
はらりはらりと舞うその『符』に、秋守はとっさに己の式の名を叫んだ。
式-宵闇は秋守を守るかのように前に出、歪む符より生まれた黒い獣が牙をむく前に切り捨てる。
(『式鬼』を呼び出したっ!?川崎屋の術師か!!?)
ぎりっと歯を食いしばる秋守。
「ほぉ。なかなかの腕前だな」
宵闇の力を見極めるかのように、男は腕を組みながら面白い玩具を見つけたように顔をゆがませる。
「っ、どこの誰だか―――聞いても構わないか?」
「闇に生きる『はぐれ』なら知っているだろう?俺の名を―――」
「悪いが、知らないな。俺は裏の人間じゃないんでね!!」
懐から符を取り出し、符に力を込める。
そして、地面に叩きつけ、
「爆!!」

爆音とともに砂煙が上がり、秋守は後方の林へと吹き飛ばされる。
木にぶつかりそうになった瞬間、宵闇が秋守を庇い、
「俺を抱えて走れるか?」
問いかけた秋守に頷き、秋守を荷物か何かのように俵担ぎしながらかけ走り出した。
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